編み物と科学 – 海外の人気科学系YouTuberが炎上した理由

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手芸はもともと高度な技術体系であるという見過ごされがちな事実があります

「編み物、実は科学だったんですね」が炎上した理由 ― 海外の人気科学系YouTuberが編み手たちに教わったこと

「編み物って、実は物理学的にも面白い構造をしているんですよ」。そう聞かされたとき、編み物を何年も続けてきた人はどんな顔をするでしょうか。2025年9月、アメリカの人気科学系YouTubeチャンネルが公開したある動画が、まさにこの反応の違いから思わぬ大炎上に発展しました。今回は、海外の編み物コミュニティを揺るがしたこの騒動を振り返りながら、「手を動かす仕事」に対する敬意のかたちについて考えてみたいと思います。


何が起きたのか ― 「物理学者もわからない編み物の仕組み」という動画

発端は、科学教育系YouTubeチャンネル「SciShow」が公開した「Physicists Don’t Understand Why Knitting Works(物理学者たちは、なぜ編み物が機能するのか理解できていない)」という動画でした。SciShowは2012年から続く老舗の科学系チャンネルでホストを務めるハンク・グリーン氏はアメリカで最も有名な「科学の伝え手」のひとりとして知られています。

動画の内容自体は、研究者たちがコンピューターモデルを使って編み地の伸縮やカール(丸まり)を予測しようとしている、という科学トピックの紹介でした。実際、編み地は「表目」と「裏目」というたった2種類のループの組み合わせだけで作られているにもかかわらず、その挙動を正確に数式化するのは今なお難しい研究分野です。海外の学術論文では編み地を「グラフ構造」として捉え直す試みも進められており、ネタそのものは決して的外れではありません。

ところが、この動画が公開されると、YouTubeやTikTok上の編み物コミュニティから瞬く間に大きな反発が起こりました。数日のうちに批判は拡大し、SciShowのエグゼクティブプロデューサーが公式に謝罪し、動画そのものを削除するという事態にまで発展したのです。

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なぜ炎上したのか ― 「発見してあげた」という視線への違和感

批判の中心にあったのは、動画の内容そのものよりも「語り口」でした。動画は編み物を「単純なループと模様の繰り返し」として紹介し、「これまで試行錯誤だけで発展してきたものに、ようやく科学がその仕組みを説明しようとしている」というトーンで進行しました。長年編み物を続けてきた人たちにとって、これは自分たちの技術と歴史が置き去りにされたまま「科学によって初めて価値づけされる」かのような印象を与えるものでした。

YouTuberのアンジェラ・ベイカー氏(@parkrosepermaculture)は10分にわたる詳細な批評動画を投稿し、この動画が編み物の科学・芸術・技術のすべてに対して不誠実だったと指摘しました。

“[The video] did a tremendous disservice to the science, the art, and the craft of knitting.”
「(この動画は)編み物という科学、芸術、そして技術に対して、大きな不誠実を働いた」


Yahoo News(アンジェラ・ベイカー氏のコメントより)

ベイカー氏はさらに、編み物が単なる手仕事ではなく、歴史の中でレジスタンス運動や産業、そして暗号通信とも結びついてきたことを指摘しています。実際、第一次・第二次世界大戦中には、編み地の「表目・裏目」の組み合わせを使って諜報活動の情報を伝えたという記録が複数残っており、当時のスパイ対策マニュアルにも「編み物や刺繍、フックドラグに暗号が編み込まれることがある」という注意書きがあったほどです。編み物は、たった2種類のステッチの組み合わせだけで、模様にも、衣類にも、そして時には暗号にもなる ― そうした奥行きを持つ技術です。

「女性の仕事だから」軽んじられてきた歴史

批判の多くが共通して指摘したのが、ジェンダーの視点です。編み物は長らく「女性の仕事」として社会的評価の外に置かれ、家庭内の趣味・雑事として扱われてきました。そこに「実は科学的に見ても興味深い」という肩書きが後から付け加えられることで、逆に「これまで正当に評価されてこなかった」という積年の不満が呼び起こされた、という見方です。YouTuberのデボラ・ナイツ氏は、この動画を「男性が女性に上から目線で説明する」構図だと表現し、詳細な訂正動画を公開しました。

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謝罪、そして削除 ― この騒動が教えてくれること

批判が広がる中、動画の制作チームの一員である「Jess」氏はYouTubeのコメント欄で、専門用語や図解にいくつかの誤りがあったことを認めました。実際、手編みと工業用ニット機、そして物理学とでは同じ「編み物」を語っていても使う用語がまったく異なることがあり、この「翻訳」のずれが誤解を広げた一因だったようです。

批判が始まってから1週間ほど経った頃、ハンク・グリーン氏本人がTikTokで謝罪の動画を公開しました。そこでは「編み物についてたくさんのコメントを読み、動画も見て、多くを学んだ」と語っています。ただし、この謝罪動画に対しても「これは謝罪と言えるのか」といった声が上がるなど、反応は一枚岩ではありませんでした。最終的にSciShowは元の動画をチャンネルから削除し、公式に謝罪文を発表しています。

ワンポイント:この騒動をめぐっては、編み手であり工業用編み機のプログラマーでもあるという視聴者が「手編みを20年、工業用編み機のプログラミングを6年やってきたが、同じ言葉でも意味が違ったり、国や業界によって使い方が変わったりする」とコメントを寄せています。ひとつの技術を語るにも、立場によって「共通言語」が驚くほど違うのだと気づかされるエピソードです。

この騒動から見えてくるのは、「科学が手芸に価値を与える」のではなく、「手芸はもともと、それ自体が高度な技術体系である」という当たり前だけれど見過ごされがちな事実です。編み地の伸縮やカールをコンピューターで正確に予測することは、今の科学技術をもってしても簡単ではありません。それはつまり、何百年もかけて編み手たちが手と経験だけでその法則を体得し、応用してきたということでもあります。外側から「発見」の物語として語るのではなく、すでにそこにある知恵に敬意を払いながら紹介すること。これは科学の伝え方だけでなく、手芸や工芸の魅力を発信するすべての人にとって、ひとつの教訓になる出来事だったのではないでしょうか。

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