南アジアの布を巡る旅 — 花の刺繍、藍の型染め、幻の薄絹、そして山の織物
サリーの絹地、パシュミナの繊細な糸、ベンガル地方のカンタキルト、そしてバンダニの絞り染め——南アジアの布については、以前も少し触れてきました。けれど、この広大な地域にはまだまだ知られざる手仕事が息づいています。今回は国境を越えて、パンジャブの花の刺繍、シンドとグジャラートを結ぶ藍染めの型染め、ベンガルが育んだ幻の薄絹、そしてヒマラヤ山麓ネパールの手織り布をめぐる旅に出かけてみましょう。
プルカリ — パンジャブの女性が紡いだ花の刺繍
「プル」は花、「カリ」は仕事を意味し、直訳すると「花の仕事」。インドとパキスタンにまたがるパンジャブ地方で、代々女性の手によって受け継がれてきた刺繍です。粗く織られた木綿地「カッダル」に、「パット」と呼ばれる撚りのない絹糸を使い、幾何学模様や花のモチーフを描き出していきます。
裏側から刺す、不思議な技法
プルカリ最大の特徴は、布の「裏側」から糸を刺していくこと。図案を事前に描くことはなく、職人は布地の織り目を数えながら、感覚と経験だけで模様を組み立てていきます。糸の光沢が美しく浮かび上がるのは、撚りのない絹糸ならでは。花嫁の嫁入り道具として一枚ずつ祖母や母が仕立てる、愛情のこもった布でもありました。パンジャブの叙事詩「ヒール・ランジャー」やシク教の聖典にもその名が登場するほど、地域の暮らしと分かちがたく結びついています。
“the craft was born of influences from Persian gulkari embroidery designs”
「この技法はペルシャの刺繍様式『グルカリ』の影響から生まれたとも言われている」
— ThePrint
アジラック — シンドとグジャラートを結ぶ藍の型染め
インダス文明の時代にまで遡るとも言われる型染め技法「アジラック」。現在のパキスタン・シンド州と、インド側のグジャラート州カッチ地方、ラジャスタン州バルメールという、ごく限られた地域だけで受け継がれてきました。担い手は代々この技を守ってきたカトリ・コミュニティの職人たちです。
ラクダの糞まで使う、自然素材だけの染め
木彫りのブロックを使った防染と、藍・茜など天然染料による染色を何度も繰り返す、実に16の工程からなる手仕事です。布地をラクダの糞や石灰、ミロバランの実で下処理し、鉄分を含んだ泥で黒を、茜の根で赤を、そして藍甕での発酵藍染めで青を生み出す——化学染料には出せない深みが、この気の遠くなるような工程から生まれます。人物や動物を描かないのはイスラームの美意識の反映とも言われ、幾何学的な連続模様が特徴です。現在ではインドで地理的表示(GI)の認定も受けています。
“Ajrakh production is limited to very few places in the world”
「アジラックの生産地は、世界でもごくわずかな地域に限られている」
ジャムダニ — ベンガルが育んだ幻の薄絹
現在のバングラデシュとインド・西ベンガル州にまたがるベンガル地方で、2000年以上前から織り継がれてきたと言われる極薄の木綿織物「ジャムダニ」。名前はペルシャ語の「花瓶」を意味する言葉に由来し、その名の通り花や幾何学模様が生地に浮かび上がります。ムガル帝国時代には宮廷の庇護を受けて栄えましたが、英国統治下では輸入布との競争にさらされ、一時は生産が大きく衰退した歴史も持っています。
一枚のサリーに、数ヶ月
ジャムダニの模様は刺繍でも捺染でもなく、織りそのものによって生み出されます。「不連続緯糸」と呼ばれる技法で、模様が必要な部分にだけ緯糸を織り込んでいく、大変な手間と時間を要する手法です。一枚のサリーを織り上げるのに数ヶ月かかることも珍しくありません。現在はバングラデシュのダッカ近郊ナラヤンガンジと、インド側の西ベンガル州シャンティプルやプリアといった町で、その技が受け継がれています。2013年にはユネスコの無形文化遺産に、2016年には地理的表示(GI)にも登録されました。
“Jamdani textiles combine intricacy of design with muted or vibrant colours”
「ジャムダニの布は、繊細な意匠と、渋みのある色から鮮やかな色まで幅広い色彩を併せ持つ」
ダカ生地 — ヒマラヤ山麓ネパールの手織り布
ネパールの伝統帽子「ダカ・トピ」の生地として知られる「ダカ」。その名は隣国バングラデシュの首都ダッカに由来しますが、これはかつて上質な木綿糸がダッカ経由でネパールにもたらされていたためで、織りそのものはネパール独自の技術です。西部パルパ郡や東部テラトゥム郡が古くからの産地として知られ、補足緯糸(インレイ)技法で生地の内側に幾何学模様を織り込んでいきます。
国民衣装となった帽子
1955年から1972年まで在位したマヘンドラ国王の時代、西洋の装いに対抗して自国の文化を尊重する動きの中で、ダカ・トピは正式な国民衣装の一部に定められました。今ではパスポートや市民権証明書の写真でもこの帽子をかぶるのが通例で、毎年1月1日は「ダカ・トピの日」として祝われています。帽子だけでなく、ショールやブラウス地としても親しまれ、山あいの村々の手仕事が国のアイデンティティそのものになった、稀有な例と言えるでしょう。
“the name travelled, but the weaving tradition is Nepali”
「名前は旅をしてきたが、織りの伝統そのものはネパール独自のものである」
一枚の布に、国境を越えた物語がある
パンジャブの花の刺繍、シンドとグジャラートを結ぶ藍の型染め、ベンガルの幻の薄絹、そしてネパールの山あいで織られる帽子の生地。どれも一つの国の中だけで完結する話ではなく、川や山脈、そして人の移動とともに国境を越えて育まれてきた技術です。カシミールのパシュミナやベンガルのカンタキルト、バンダニの絞り染めとあわせて眺めると、南アジアという一つの大きな布の地図が浮かび上がってくるような気がします。
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