巾着袋の歴史をたどる – シンプルな構造とその普遍性

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口を紐で絞って締めるというシンプルな構造の袋が、現代までほぼ形も構造も変わらずに続いて愛用されている。すごいことですね。

布が紡ぐ記憶 — 巾着の歴史をたどる

巾着袋を手に取るたびに、少しだけ不思議に思うことがあります。これほど単純な構造 — 布を袋状に縫って、口を紐で絞るだけ — の道具が、なぜこれほど長く、これほど広く、人の手に寄り添い続けてきたのだろうか、と。

調べてみると、その歴史は1,000年をゆうに超え、奈良時代の遺物から江戸の街角まで、人々の日常に静かに根を張っていました。今回は、文献や百科事典の記述を手がかりに、巾着の来歴を読み解いてみます。


火を宿す袋 — 巾着の原点「火打袋」

巾着の直接の祖先は「火打袋(ひうちぶくろ)」です。火打石・火打金といった発火道具一式を収めて腰に提げた、いわば生活の命綱ともいうべき袋でした。

コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典)には、江戸中期に著された随筆集『秋草』下巻の記述として、次のような内容が引用されています。

「印籠巾着の事、室町家の頃まではなかりしものなり、是又近世のものなり、室町家の頃まで腰刀に火打袋を付くる事有しなり、巾着は此火打袋の変作なるべし」


コトバンク「巾着」項(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

つまり、印籠や巾着は室町時代以前には存在せず、それ以前は腰刀に火打袋を付けるスタイルであり、巾着とはその火打袋が形を変えたものだ — という当時の認識が記録されています。

また同じコトバンクの記述(平凡社 世界大百科事典)によれば、道中用の腰に下げる火打袋には、「皮袋の下に火打鎌をつけて袋の中には火打石と火口(ほくち)を入れたもの」があり、その火打袋が袋物として銭入れにも転用された様子が『太平記』にも見えると記録されています。火を起こす道具を持ち歩く必要性から生まれた袋が、やがて日常の貴重品を入れる器へと変容していった — その過程が、中世の文献に静かに刻まれているのです。

東京国立博物館が所蔵する「火打袋」の実物

文化遺産オンライン(文化庁・国立情報学研究所)のデータベースには、東京国立博物館が所蔵する「火打袋」が登録されています。19世紀・鮫皮製の資料で、樺太ウィルタ(シベリアの先住民族)のものとされており、火打袋という袋の形が北東アジア全域に広がっていたことを示す貴重な資料です。

火打袋(ひうちぶくろ)/ 樺太ウィルタ / 19世紀 / 鮫皮製 / 縦5.5 横10.5cm / 1個


文化遺産オンライン「火打袋」(東京国立博物館所蔵)

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江戸という舞台 — 巾着が文化になった時代

巾着が実用の袋から「文化」へと昇華したのは、江戸時代のことです。コトバンクの「巾着」項(日本大百科全書 ニッポニカ、執筆:遠藤 武)には、その変遷が詳しく記されています。

「前巾着」の登場と帯文化との結びつき

江戸時代初期には「前巾着」と呼ばれるスタイルが生まれました。帯の前(前身頃のあたり)に下げる形で、小銭入れとして用いられました。幅の広い帯が普及したことで、そこに巾着を提げる場所が生まれ、日常の携帯品として定着していきます。

その後、口紐の端に「根付(ねつけ)」をつけて帯に挟むスタイルへと発展。印籠やたばこ入れと同様に、根付は落下防止のストッパーであると同時に、持ち主の美意識を表現する装飾品にもなっていきました。

「巾着師」という職業の確立

需要の高まりとともに、巾着を専門に制作する「巾着師」という職人が江戸に現れました。元禄時代(17世紀末〜18世紀初頭)には皮製品が流行したとされ、革巾着はなめし革や印伝革(鹿革に漆で文様を描いたもの)が多く用いられました。絹織物・綿織物・羅紗・革と素材も多様で、円形・楕円形・干柿形など形もさまざまでした。巾着が、単なる道具から「下げ物(さげもの)」として印籠とともに美を競う存在へと変貌した時代です。

「倹約令」とひそかな贅沢

経済力をつけた町人を統制するため、幕府はたびたび「倹約令」を出し、布地の種類や染め色にまで制限を設けました。しかし人々は、表向きは質素に見せながらも、目立たない小物や裏地に凝って密かな贅沢を楽しんでいました。巾着もその格好の舞台となり、外見は地味でも裏地に高価な絹を使うといった工夫が生まれていきます。

文学に登場する巾着 —『東海道中膝栗毛』の記述

巾着が当時の庶民生活にいかに深く根付いていたかは、文学からもうかがえます。Wikipedia「巾着」項によれば、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛(二編)』には、道中でスリに金を盗まれた弥次郎兵衛と喜多八が、身に着けていた「印伝革の巾着」を武士に売ろうとする場面が描かれています。巾着が日常品として旅の必需品であり、その素材(印伝革)まで物語の中に登場する — 江戸時代の人々と巾着の距離感が、ここによく表れています。

江戸時代後期の十返舎一九による滑稽本『東海道中膝栗毛(二編)』にも巾着は登場し、道中で「ごまのはい」に金を盗まれて困った弥次郎兵衛と喜多八が身に着けていた印伝革の巾着を、通りがかりの武士に300文で売りつけようとするが、足元を見られて安く買いたたかれてしまう、という記述がある。


Wikipedia「巾着」(2026年3月更新版)

江戸末期の「女夫巾着」— 夫婦で持つ、ふたつの袋

江戸末期には、内側を二つに仕切った「女夫(めおと)巾着」が考案されます。一方を小銭入れ、もう一方を薬や守り札入れとして使う、ちりめん製の実用的な巾着で、婦女子の間に人気を博しました。守りと実用を一枚の袋に共存させる — 江戸の人々の発想の巧みさが感じられます。

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日本銀行貨幣博物館の企画展示が語ること

日本銀行貨幣博物館が2010年に公開した企画展示「財布の歴史」の資料(展示資料リスト)には、巾着と貨幣文化の関係が整理されています。その説明文には次のようにあります。

巾着は、お金などを入れて口を紐で縛る袋で、燧袋(火打石などを持ち歩くための袋)から変化したものと考えられている。(中略)それ以前は、お金(銭など)を燧袋(ひうちぶくろ)や巾着に入れていた。


日本銀行貨幣博物館「財布の歴史」企画展示資料(2010年)

また同資料では、江戸時代から明治にかけての財布の変遷として、紙入・鼻紙袋・三徳・鼻紙差し・がまぐちといった形態の移り変わりが紹介されており、巾着がそれらの前段階として機能していた様子が読み取れます。錦絵「役者絵 坂東彦三郎」にも巾着をくわえた様子が描かれているとされ、視覚的な資料としても巾着が日常品として扱われていたことが確認されます。

明治以降 — 衰退と変容

明治時代に入ると、財布・がまぐち(口金付きの小銭入れ)が普及したことで、実用品としての巾着は急速にその役割を失っていきます。コトバンク(日本大百科全書)によれば、「明治時代に入り、財布、蝦蟇口などの普及に伴い巾着はただ児童用の装身具となってしまったが、洋服の普及に伴いこの必要もみとめられなくなり、迷子札とともにしだいにすたれた」とあります。

一方で、Wikipedia「巾着」項が紹介している『嚢物教科書(のうもつきょうかしょ)』(赤沼八重子著、元元堂書房、明治42年〈1909年〉)には、編物の巾着の作り方が和装の装飾品として掲載されており、巾着が手芸・家政教育の対象として生き残っていたことがわかります。

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世界の「巾着」 — drawstring bag の歴史をたどる

「口を紐で絞めくくる袋」という構造は、日本だけの発明ではありません。Wikipedia「巾着」項にも英語名「drawstring bag」として記されているとおり、この形式は世界の各地で独立して生まれてきた、人類共通の発想です。

約5,300年前のアイスマン「エッツィ」 — 現存最古のベルトポーチ

現在確認されている最古の「袋を腰に提げる」実物証拠は、1991年にアルプスの氷河で発見された約5,300年前のミイラ、通称「エッツィ(アイスマン)」とともに出土したポーチです。複数の考古学・博物館資料がこれを記録しています。

Archaeological finds, like the approximately 5,300-year-old leather pouch found with Ötzi the Iceman, provide tangible evidence of these earliest “purses.” They were crafted from animal hides and served to hold tools, tinder, or edible resources.(考古学的発掘品、すなわちアイスマン「エッツィ」とともに発見された約5,300年前の革製ポーチは、最初期の「袋」の存在を物語る具体的証拠です。動物の皮で作られ、道具・火口・食料などを入れるために用いられていました。)


Wonderful Museums「Purse Museum: Unlocking the Timeless Tales and Cultural Significance of Handbag History」(2025年9月)

HubPages の服飾史記事(考古学的資料に基づく)によれば、エッツィのポーチはベルトに取り付けられており、中には火打石・錐・千枚通し・乾燥させたキノコなどが入っていたことが確認されています。火を起こす道具一式を革袋に収めて腰に提げる — 日本の「火打袋」とほぼ同じ機能の袋が、ヨーロッパアルプスでも5,000年以上前から存在していたことになります。

古代エジプト・古代ギリシャ — 腰に提げる小袋

HubPages の服飾史記事によれば、古代エジプト(古王国時代、紀元前2686〜2160年頃)では亜麻とパピルスで作られた二つ手の袋が使われており、古代ギリシャでは「byrsa(ビルサ)」と呼ばれる硬貨入れをベルトから提げて携帯し、衣服のひだの中に隠す習慣があったとされています。古代から「ポケットのない衣服」に対する解決策として、袋を腰に提げるスタイルが世界各地で独立して生まれていたことが分かります。

中世ヨーロッパの「オモニエール」 — 美と信仰の袋

中世ヨーロッパでは、衣服にポケットがなかったため、男女ともに「aumônière(オモニエール)」や「purse(パース)」と呼ばれる袋をベルトから下げて歩くのが一般的でした。Carol’s Source Book の記述によれば、14〜15世紀には女性は主に長方形の巾着型の袋を下げており、15世紀になると男女ともに精緻な刺繍や金の装飾を施した袋を持つ習慣があり、男性が新婦に「愛の物語を刺繍したポーチ」を贈る慣習も記録されています。

学術的なブログ「Lexis of Cloth and Clothing in Medieval Royal Wardrobe Accounts」(中世服飾史研究)には、中世の袋がいかに重要な装身具であったかが論じられています。

In medieval times bags and pouches were especially important as pockets do not appear to have been a feature of all items of clothing. Pouches and purses were often made from cloth or leather and were made to be tied to the clothing or hung from belts.(中世において袋や巾着は特に重要でした。衣服にポケットが付いていないことが多かったためです。巾着や財布は多くの場合、布や革で作られ、衣服に縛りつけたり、ベルトから吊るしたりして使われていました。)


Lexis of Cloth and Clothing in Medieval Royal Wardrobe Accounts「What’s in the Bag? The Functions and Designs of Medieval Bags」(2016年)

スミソニアン所蔵の巾着 — エリザベス1世時代のマクラメ巾着

スミソニアン・クーパーヒューイット・デザイン博物館のコレクションには、イギリス製のマクラメ巾着(金銀糸使用、紐で絞めるタイプ)が収蔵されています。同館の解説によれば、エリザベス1世時代には新年に高位の貴族や聖職者が金貨を詰めた巾着を女王に献上する慣習があったとされており、「巾着が権力と礼節の象徴」として機能していたことが読み取れます。

At New Year’s, for example, higher nobles and bishops were obliged to present Queen Elizabeth with gold-coin-filled purses as a sign of their gratitude and loyalty to their monarch.(新年には、高位の貴族や司教がエリザベス女王への感謝と忠誠の印として、金貨を詰めた巾着を献上することが義務とされていました。)


Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum「Purse (England)」収蔵品解説

17世紀に「ポケット」が登場し、袋の役割は変わる

Carol’s Source Book の記述によれば、1670年頃にヨーロッパの男性用ブリーチズ(半ズボン)に縫い込み型のポケットが付くようになり、男性が巾着を腰から提げる習慣は急速に廃れていきます。一方、女性の衣服にはポケットが付かなかったため、19世紀まで巾着型の袋(reticule)を携帯し続けることになります。日本で明治時代にがまぐちの普及とともに巾着が衰退したように、ヨーロッパでも「収納の革新」が巾着文化を変容させていったのです。

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布と紐だけでできている — 巾着という構造の普遍性

エッツィのアルプスから江戸の街角まで、巾着は地域を問わず「ポケットのない時代の人々の知恵」として独立して生まれ続けました。その一方で、日本の巾着には独特の文化的蓄積があります。根付という精巧な留め具。印伝革という鹿革と漆の技法。そして、生地の柄ひとつに魔除けや長寿の願いを込める習俗。実用の袋が美の器へ、さらに祈りの容器へと重なっていく過程 — これはまさに、日本の布文化が持つ豊かさそのものです。

コラム:「守巾着(まもりきんちゃく)」と現代のお守り
Wikipedia「巾着」項によれば、江戸末期から明治にかけて「守巾着」と呼ばれるものが存在し、中にお守りを入れて幼児に持たせた記録があります。麻の葉・鶴・亀・菊などの刺繍や紐の結び方に魔除けや長寿の意味をもたせており、現代の神社で売られるお守り袋はこの形の子孫といえます。明治末期に現在の長方形のお守りの形に定型化されるまで、お守りは「小さな巾着」だったのです。


まとめ — 引用文献一覧

巾着とは、火を起こす道具を持ち運ぶための「火打袋」を祖先とし、室町後期に現在の形を得て、江戸時代に文化的な高みに達した袋物です。専門職人(巾着師)が生まれ、根付と組み合わせて装身具となり、お守り袋として人々の祈りを受け取り — そして明治に財布やがまぐちに役割を譲りながらも、手芸の対象として、子どもたちの袋として、現代へと続いています。

布を縫って、紐を通す。その素朴な構造の中に、1,000年分の人の気持ちが畳まれています。

REFERENCES — 主要参考文献

1. 遠藤 武 執筆「巾着」項 — コトバンク(日本大百科全書 ニッポニカ・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典・百科事典マイペディア)
2. 「巾着」— Wikipedia日本語版(2026年3月更新版)。出典として『尋常小学修身口授書』(那珂通世・秋山四郎編、共益商社書店、1893年)および『嚢物教科書』(赤沼八重子著、元元堂書房、1909年)が明記されている。
3. 「火打袋」収蔵情報 — 文化遺産オンライン(文化庁・国立情報学研究所)。東京国立博物館所蔵資料。
4. 日本銀行貨幣博物館「財布の歴史」企画展示資料 — 日本銀行貨幣博物館(2010年)
5. 十返舎一九『東海道中膝栗毛』二編(江戸後期刊)— Wikipedia「巾着」項より引用確認。
6. 作者不詳『秋草』下巻(江戸中期)— コトバンク「巾着」項(ブリタニカ国際大百科事典)より引用確認。
7. Wonderful Museums「Purse Museum: Unlocking the Timeless Tales and Cultural Significance of Handbag History」— wonderfulmuseums.com(2025年9月)。エッツィのポーチほか考古学的資料に基づく記述。
8. Cooper Hewitt, Smithsonian Design Museum 収蔵品解説「Purse (England)」— collection.cooperhewitt.org。エリザベス1世時代のマクラメ巾着。
9. Lexis of Cloth and Clothing in Medieval Royal Wardrobe Accounts「What’s in the Bag? The Functions and Designs of Medieval Bags」— medievalroyalwardrobelexis.wordpress.com(2016年)。中世ヨーロッパの袋物に関する服飾史研究。

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