海外の手芸チェーンはなぜ上場しないのか ——上場企業の栄枯盛衰と業界の構造
アメリカ最大の手芸チェーンだったJOANNが2025年に全店閉鎖し、The Michaels Companiesも株式市場から姿を消しています。海外の手芸業界を調べると、大型チェーンでも上場企業は驚くほど少なく、かつて上場していた企業もほぼ非上場に回帰、あるいは消滅しているという現実が浮かび上がります。なぜ手芸チェーンは上場と相性が悪いのでしょうか。そして今、北米の手芸市場はどこへ向かっているのでしょうか。
手芸チェーンが上場と相性の悪い理由
そもそも、手芸・クラフト用品の小売業は「上場に向かない」構造を本質的に抱えています。その理由を整理すると、大きく四つの特徴が見えてきます。
(1) 市場規模が「中途半端」に大きい
手芸・クラフト市場はニッチすぎず、かつ急成長もしにくいカテゴリーです。株式市場の投資家は「高成長」を好む傾向が強く、安定しているが成長率の低い手芸業界は評価されにくいのが実情です。上場すれば四半期ごとの成長圧力にさらされ、長期的な店舗経営と相容れない判断を強いられる局面も増えてしまいます。
(2) 季節変動・在庫リスクが大きい
手芸用品の売上は季節によって大きく波打ちます。クリスマスシーズン前のクラフト需要、バレンタイン向けのハンドメイドブーム——こうした繁閑の差は利益を安定させにくく、株主への説明も難しくなります。加えて、布地・毛糸・素材類は流行り廃れがあり、在庫が積み上がると一気に不良資産に変わります。EC化が進む現代でも、布地は「手で触って選びたい」お客さまが多く、店舗を維持するコストからなかなか逃げられないのが現実です。
(3) 創業家・オーナー経営と相性がいい
Hobby LobbyやHobbycraftをはじめ、手芸チェーンの多くはファミリービジネスとして発展してきた経緯があります。創業者一族が長期的な視点で店舗運営の質やスタッフ文化を磨き続ける体制は、手芸ユーザーという「コミュニティ顧客」を相手にするビジネスにとても適しています。株主の意向に左右されず、「布地の品揃えへのこだわり」や「常連客との関係」を最優先できる非上場の形が、結果的に安定した経営につながりやすいのです。
(4) 「体験型」店舗の価値が数字に現れにくい
手芸店の強みは、スタッフのアドバイス、ワークショップ、コミュニティの場としての機能にあります。こうした「体験価値」は財務諸表に直接反映されにくく、株式市場での評価が難しいのが悩みどころです。投資家目線では「高コスト・低効率な在来型小売」と映りがちで、EC競合と比べたときの競争力が数字の上で不利に見えやすい傾向があります。
「布地はオンラインで買えない。実物を触らないとわからないのに」——JOANNの閉店時にSNSに溢れたこの声は、手芸小売業の本質的な強みと弱みを同時に言い表しています。
— SNSコメント(2025年)
上場した企業たちはなぜ消えたのか
かつて上場していた北米の主要手芸チェーン——JOANN、The Michaels Companies、AC Moore——の歩みを振り返ると、共通したパターンが見えてきます。
JOANN ── 二度の破産と82年の終焉
1943年にオハイオ州で創業したJOANNは、全米800店舗・19,000人を雇用した布地・手芸の巨人でした。しかし2011年、プライベートエクイティ(PE)ファンドによるレバレッジド・バイアウト(LBO)で巨額の負債を抱えることになります。2021年には再上場を果たし一時持ち直しますが、コロナ禍のDIY特需が去ると業績は急落しました。2024年3月に最初の連邦破産法申請、そして2025年1月に二度目の申請——負債総額6億1,570万ドルを抱えたまま、2025年5月30日に全店舗が閉鎖されました。
「JOANNを殺したのは誰か?——その答えはプライベートエクイティだとみる関係者は多い。2011年のLBOが、同社に重くのしかかる負債をもたらした」
— Fortune誌(2025年)
The Michaels Companies ── 上場と非上場の往復
北米最大級のクラフトチェーン・Michaelsも、PEファンドによるLBOで2006年に非上場化、2014年にNASDAQへ再上場(ティッカー:MIK)という経緯を持っています。しかし2021年には再びPEファンドのApolloに買収され、非公開に戻りました。現在は非上場のまま北米のクラフト市場で存在感を維持しており、2025年にはJOANNの知的財産を取得しています。
AC Moore ── 静かな撤退
かつてNASDAQに上場していたAC Mooreは、JOANNやMichaelsとの競争に押される形で業績が低迷しました。2019年に事業を終了し、多くの店舗がMichaelsに転換されています。大手二社に挟まれた中規模チェーンの生存の難しさは、手芸業界でも例外ではありませんでした。
PE(プライベートエクイティ)とLBOとは
プライベートエクイティ(PE)ファンドは、上場企業を買収して非公開化し、経営改善後に売却・再上場することで利益を得る投資ファンドのことです。LBO(レバレッジド・バイアウト)は、買収資金の大部分を借入金でまかなう手法で、負債が買収された企業の帳簿に計上されます。短期間での価値向上を狙うPE的手法は、長期的な顧客関係を重視する手芸チェーンと本質的に相性が悪かったといえます。
2026年の業界地図——再編が進む北米のクラフト市場
JOANN消滅後の2026年時点で、北米の手芸市場はどうなっているでしょうか。大きな構図は「Michaelsの独占化」と「小規模・専門店の台頭」という二極化です。
Michaelsが北米を実質支配
JOANNの撤退で、総合クラフトチェーンとしてのMichaelsの存在感はさらに強まっています。ただし、もともとJOANNを支持していたユーザーの一部はMichaelsの布地品揃えに満足しておらず、地元の独立系手芸店やEtsyへの移行を模索する動きも続いています。「行く場所がなくなった」という声は、業界に生まれた大きな空白を示しています。
Hobby Lobbyは宗教的経営方針で支持と反発が拮抗
Hobby Lobbyはキリスト教的経営方針(日曜閉店、避妊薬保険適用拒否訴訟など)で知られており、創業家所有の非上場を貫いています。JOANN難民の一部を取り込んでいる一方、価値観を理由に利用を避けるクラフターも多くいます。手芸店を選ぶという行為が、生活スタイルや価値観の表明にもなっている側面があるようです。
オーストラリア・英国の巨人も非上場
英国最大の手芸チェーンHobbycraftは投資会社Modella Capital傘下で安定した非上場経営を続けており、オーストラリア最大のSpotlight Retail Groupも非公開企業のままです。いずれも「地域密着の体験型店舗」として独自のポジションを確保しており、株式市場からの圧力を受けずに長期的な品揃えと接客の質を守れている点が強みになっています。
2026年時点での北米大手手芸チェーンの現状をまとめると、純粋な意味での「手芸専門上場企業」はほぼ存在しない状態になっています。
— 業界再編の現在地
まとめ ── 手芸店は「コミュニティ」であり続けることで生き残る
手芸チェーンが上場しにくい理由と、上場した企業の多くが苦境に陥った経緯を追うと、一つの結論が浮かんできます。手芸・クラフトの小売業は、株式市場の論理よりもコミュニティの論理で動く業態だということです。
布地を選ぶ時間、スタッフに相談する喜び、店内で出会う同じ趣味の人たち——こうした体験は数字に換算しにくいものですが、手芸店が長年にわたってお客さまから愛され続けてきた本質的な価値です。それを最優先できる非上場・オーナー経営の構造が、結果としてこの業態にとても合っているのだと思います。
日本の手芸小売業界も、決して傍観できる状況ではありません。EC化の波、高齢化による顧客層の変化、専門スタッフの確保難——北米で起きたことは、海外の話として片付けられないでしょう。それでも、手芸という営みが人々の生活に根を張り続ける限り、この市場は消えることなく形を変えながら続いていくはずです。
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