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国立国会図書館のデジタルアーカイブに、大正14年(1925年)に出版された業界向けの専門書が残されています。その中から、現代にも通じる綿布の知識と、激動の時代背景を読み解いていきます。
SERIES|アーカイブ探訪
国立国会図書館のデジタルコレクションをご存じですか?国内の貴重な資料をオンラインで閲覧できるアーカイブです。当ブログでは、その中から裁縫・テキスタイルにまつわる面白い資料をシリーズでご紹介していきます。掲載するのは著作権保護期間が満了し、自由に使用できる資料のみです。
VOL.02
綿布事情 : 附・世界紡績業の沿革
東京綿糸商組合
綿布・テキスタイル
今回ご紹介するのは、大正14年(1925年)に東京綿糸商組合が発行した『綿布事情』の一部です。業界向けに書かれた専門テキストですが、そこには織物のしくみから布の種類、当時の輸出入事情まで、驚くほど豊富な情報が詰まっています。
「ポプリン」「コール天」「更紗」——今でも普通に使われるその名前たちが、すでに大正時代に確立された素材として流通していたとしたら、少し驚きませんか?

時代背景 ── 関税改正と戦争が変えた布の流通
大正時代(1912〜1926年)は、日本の近代化が急速に進んだ時期です。この専門書が書かれた大正14年は、第一次世界大戦(1914〜1918年)が終わってから数年が経った頃。綿業界はその波に大きく揺れていました。
原文
本邦輸入綿布は明治四十四年關税率改正後激減した事は前述の通りであるが……大正七年には關稅改正前の千分の一即ち僅に六萬六千碼、二萬三千圓となり、當時輸入綿布中首位を占めたる本品も最下位に下るに至つた
現代語訳
明治44年(1911年)の関税改正以降、日本への綿布輸入は急激に減少しました。大正7年には関税改正前の1000分の1にまで落ち込み、かつて輸入品トップだった生金巾(きかなきん)も最下位に転落してしまいます。
出典:東京綿糸商組合「綿布事情」大正14年
なぜここまで激減したのでしょうか。関税の引き上げにより輸入品が割高になり、かわりに国内の紡績会社が力をつけてきたからです。さらに第一次世界大戦中はヨーロッパからの輸入がほぼ途絶え、日本の繊維産業が一気に自立するきっかけになりました。
専門書の末尾には「輸入先は大部分英国で、戦前はドイツからも一部輸入されていたが、戦乱以来その輸入を見ない」という記述も。第一次世界大戦の影がテキスタイル業界にも色濃く落ちていたことがわかります。

一枚の布ができるまで ── 織布の工程
布は「縦糸(経糸)」と「横糸(緯糸)」を組み合わせてできています。これは現代でも変わらない基本中の基本。でも実際に布を織り始めるまでには、いくつもの工程が必要でした。
STEP 01 ── 巻返し(Winding)
糸をボビンや木管に移し替える作業。縦糸と横糸をそれぞれ専用の管に整えることで、次の工程をスムーズに進められます。
STEP 02 ── 整経(Warping)
縦糸の本数と長さを決め、巻き軸(ビーム)に均一に巻き取る作業。「整経機(Warping machine)」を使い、仕上がった巻き軸を「経巻(たてまき)」と呼びました。
STEP 03 ── 糊付け(Sizing)
縦糸に糊をつけて表面をなめらかにし、織る際の摩擦や歪みに耐えられるよう強度を高めます。「糊付け機」に通すだけですが、仕上がりの品質を左右する重要な工程です。
STEP 04 ── 機上げ(Looming)
整えた縦糸を織機にセットする作業。「綜絖(そうこう)」と「筬(おさ)」という部品に糸を通してはじめて、織ることができる状態になります。綜絖は縦糸を上下に動かして横糸の通り道をつくる部品。筬は糸の密度を整えるくし状の道具です。
原文
力織機であれば綜絖及杼の運動、筬打等總へて人力を要せず自動的に作業を繼續して行くのである
現代語訳
動力織機(力織機)では、綜絖の動き・杼の往復・筬打ちといった作業がすべて自動で連続して行われます。手織りでは職人が足で踏み、手で杼を操作しながら一段一段織っていたのとは対照的です。
出典:東京綿糸商組合「綿布事情」大正14年
「大量生産には総て力織機を用ひる」という記述からも、紡績会社の機械化がすでに当たり前になっていたことが伝わります。手織りの職人技と、近代的な工場生産が混在していた時代の過渡期を、この一文に感じます。

綿布の種類 ── 生地綿布と加工綿布
専門書では、綿布をまず大きく「生地綿布」と「加工綿布」の2種類に分けています。
生地綿布(きじめんぷ)
加工を施す前の、素のままの布。シーチング(粗布)、天竺布、綾木綿、綿帆布などが該当します。
加工綿布(かこうめんぷ)
さらし・染色・シルケット加工などを施したもの。ポプリン、フランネル、更紗、天鵞絨(コール天)などが該当します。
以下に、今でもなじみのある名前を中心にいくつかご紹介します。
Shirting
平織の基本的な綿布で、当時の世界市場でもっとも需要が多かったもののひとつ。幅の違いによって「並巾・二巾・三巾・広巾」などと呼び分けられていました。特に中国(上海)への輸出が盛んで、上海がその中心市場だったと書かれています。
原文
キヤリコは品質上の名稱で、金巾は同種類の總稱である
現代語訳
「キャリコ」は品質の良いものを指す名称で、「金巾」は同種類すべての総称です。我が国では最初に外国から晒した金巾をたくさん輸入したため、キャリコ=漂白布だと思われることもありましたが、正しくは生地・晒し問わず「品質の高いもの」を指します。
出典:東京綿糸商組合「綿布事情」大正14年
💡 「キャリコ(Calico)」は現代でもキャラコ生地の名前として使われています。下着・裏地・袋物などに使われる、あの白い薄地綿布です。
T. Cloths
もとはインド(天竺)から輸入されていたことからこの名が付きました。「T」の字の商標がついて売り出されたため、外国では「T-cloth(テークロース)」とも呼ばれるようになったとのこと。国内では小麦粉の袋や衣服の裏地に、アジア各地へも輸出されていました。
💡 「天竺」はTシャツやカットソーにも使われる定番素材の名前。ニット生地の「天竺編み」とは別物ですが、名前の由来はどちらもインドに由来しています。
Printed chintz
もっとも詳しい解説が書かれていたのが更紗です。もともとは木版に彫刻を施し、染料をつけて布に押す「木版捺染」が起源。インドや東南アジアでは当時もその伝統的な手法が続いており、植物性染料を何度も重ねて染めた本場インドの更紗はとても高価なものでした。
原文
印度の書き更紗は原料の表面に鉛筆で薄く意匠を書き、其上より染料を含ませた筆で模樣を書くので、容易ならぬ手工を要し價も非常に高い
現代語訳
インドの手描き更紗は、布の表面に鉛筆で薄く図案を描き、その上から染料を含ませた筆で模様を描いていきます。大変な手仕事を要するため、値段も非常に高いものでした。
出典:東京綿糸商組合「綿布事情」大正14年
一方、近代化した国々では銅製ローラーに模様を彫刻した機械染めが主流になっていました。1色につき1本のローラーが必要で、5色使いなら5本、10色なら10本が必要——色数が増えるほどコストが上がる仕組みです。
💡 市場での呼び名は「白地・色地・ダーク・インジゴ・紅更紗・花模様・縞物・濃染薄染」など。今でも通じる言葉が100年前にすでに使われていたことがわかります。
Cotton Velveteen / Corduroy
「天鵞絨(てんがじゅう)」はビロードのこと。綿で作ったビロードが「綿天鵞絨」です。織り上げた後に浮いている糸(浮糸)をカットし、ブラシで梳(と)かすことでふんわりした毛並み(パイル)を出します。パイルを畝(うね)状に表したものが「コール天(コーデュロイ)」。秋冬の定番素材として今も愛されていますね。
💡 「コール天」という呼び名は「Corduroy(コーデュロイ)」が転訛したもの。英語ではフランス語由来の「cord du roi(王の畝)」説もある、由緒ある名前です。
Cotton Flannels
「綿ネル」という呼び名は今でもなじみがあります。布の表面を「起毛機」で摩擦し、繊維の毛先をふわっと立たせたものがフランネル。片面だけ毛羽立てたものを「片面ネル」、両面のものを「両面ネル」と呼びました。「伊太利ネル(イタリアネル)」「紀州ネル」といった地域ブランドも存在していました。
今も使われる名前たち
専門書の後半にはさらに多くの布の名前が登場します。その多くは100年後の今もそのまま使われています。
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| 名称 | 英名 | 特徴・用途 |
|---|---|---|
| ヴォイル | Voile | ガーゼに似た薄地の平織。夏の衣料に。 |
| ポプリン | Cotton Poplins | 横糸が縦糸より太く、布面に横畝が出る。シャツ地の定番。 |
| 綿シフォン | Cotton Chiffon | 綿布の中で最も薄い生地。夏の窓掛や肩掛けに。 |
| 綿モスリン(新モス) | Cotton Muslins | やわらかく仕上げた薄地。和服の裏地として大正時代に急速に普及。 |
| 寒冷紗 | Victoria Lawns | 強く糊が施された薄地。上等品は「絹寒」と呼ばれ生花の台布地などに。 |
| 浴巾(タオル) | Towels | ループ状の毛(輪奈)をつくるパイル織。現代のタオルと構造は変わらない。 |

産地の名前が布になる ── 白木綿と地域ブランド
専門書の中でとくに興味深いのが、白木綿の産地別ブランドの記述です。全国の小さな機業(きぎょう)家たちが、それぞれの地域の名を冠した布を作り続けていました。
主な産地と布の名称
真岡木綿(栃木県)— 幅9寸5分、長さ2丈8尺5寸〜2丈9尺
知多木綿(愛知県)— 幅8寸2分〜9寸5分
泉州木綿(大阪府)— 幅8寸2分〜9寸5分
伊予木綿(愛媛県)
結城木綿(茨城県)
岩槻木綿(埼玉県)
幅や長さが産地によって微妙に違うのは、各地の小機業家が独自の基準で織っていたから。規格が統一されていない時代ならではの、豊かなバリエーションとも言えます。
また輸出向けには「朝鮮木綿」「満洲木綿」という仕向け地別の呼び名もあり、当時の日本が東アジア各地と深く結びついていたことも伝わってきます。
おわりに
大正14年に書かれたこの専門書を読むと、布の世界がいかに奥深く、また時代の波に揺れるものであるかがわかります。関税の変化で輸入が激減し、戦争で貿易が途絶え、国内産業が育っていく——そのなかで、職人たちは手を動かし、機械と格闘しながら、一枚一枚の布を織り続けていたのです。
ポプリン、コール天、更紗、シフォン。100年経っても変わらず使われるその名前たちは、ものづくりの確かな積み重ねの証です。次に「綿100%」のタグを見かけたとき、ほんの少し、その糸の向こうにある歴史を思い出してみてください。
📚 資料情報
| 書名 | 綿布事情 : 附・世界紡績業の沿革 |
| 発行 | 東京綿糸商組合 |
| 出版年 | 大正14年(1925年) |
| 所蔵 | 国立国会図書館デジタルコレクション |
| 備考 | 著作権保護期間満了・自由利用可 |
